雑記22

大分間が空いた。決して書くのが面倒になったワケじゃあないんです。
年度末は忙しないでございますね。

ロゴを作ってもらった

ヘッダーをご覧いただきたい。実は水面下で……別に水面下である必要は無いけれども、このブログにも相応しい、まさしく三白眼を基調にしたロゴを作ってもらったのである。

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先月の上旬、唐突にそういうものを作ろうと思い立ち、古くからのネットの知り合いである天(@ten_72_s)さんに頼み込んだところ、快諾していただいた。そこからは僕の抽象的なイメージを基に何パターンもアイデアを出してもらい、うち目ぼしかった一案をブラッシュアップして、無事完成。
2人で何となく共有していたイメージとして「文庫本の表紙や背に載っているような出版社のエンブレム」というものがあった。ああいうのって古めかしくて怪しいイメージがあるでしょう。「廻想体マキナ」と言うレトロで角ばったフォントも相俟って、多分にそれっぽい仕上がりにしていただきました。有難うございました。

今のところはブログのタイトルやらアイコンやらにチョコチョコ入れ込むくらいしか使い道が無いわけだけど、そのうち出すであろう書籍の表紙等々にも使ってみようと思っている。その時までこの目つきの悪さにも親しんでもらえれば。

続・イヤのホン

以前のエントリで僕の驚異的なイヤホン運の無さが分かったかと思う。
かくして先々月に交換修理(と称して実質1万7000円で新品を買った体)で手に入れた「BOSE Sport Earbuds」を、先週紛失した。2ヶ月も持たなかった。
これは流石に最短記録に近い。どれほど探しても見つからず、いよいよ戻って来ることを殆ど期待できないと悟った時、逆にすこぶる冷静になれた。これが一度や二度くらいの話なら「不注意」とか「片付ける癖を付けないのが悪い」とか適当な理由を以て反省するだろうけれど、僕くらいにまで重なれば、それはもう不思議な力が働いているとしか思えん。
紛失を知ってから新しいイヤホンを買うまでの流れは実にスムーズだった。必要経費のようなものだから躊躇は無い。丁度ゼンハイザーのワイヤレスがamazonでタイムセールだった。CX400BT、定価2万3000円のところを1万と3000円也。

いつか、メインのワイヤレスが故障した時のつなぎとして同じくゼンハイザーIE-40と言う有線のモニター用イヤホンを買っていた。高音が刺さり気味なところ以外はバランス良くとても好みの音だったから、同じような音質を期待して買ったが、思ったよりもベースが幅を利かせてくるから驚いた。とは言え全体的には満足が行った。
ただ、防水防滴ではないから、普段使いはともかくランニングでの使用は厳しい。タイムセールにつられてロクにその辺りの考慮もせずに買ったから、もうランニング用はランニング用と割り切って、そこら辺の有象無象の中から適当な防水タイプのものでも探そうかと考えていた。
それはそれとしてイヤホンが届いた次の日、始業前に職場の机周りを掃除していたら、見覚えのある青いケースがあった。失くしたと思っていたEarbudsが、机の下の隅の隅の方で縮こまっている。てっきり二度と逢うことはないと思ったのに、後継機を買ったとたんに戻ってきやがった。

「えっ、今更?」

図らずして僕はそこそこいいワイヤレスを2機持っているそこそこゴージャスな男になってしまった。ここ数日は、今日はどっちを持っていこうかしらんとか贅沢なことばかり考えている。どっちかが壊れても安心だ。今度こそ俺の勝ちだ。

みきわまってんのか

バイクの教習に通い始めたのが先月で、教習所に無理を言って詰め込めるだけ詰め込んでもらったから、あれよあれよの間に今日の午前中に第二段階のみきわめが通り、残るは卒業検定のみとなった。
今日も含めて何かとボロカスに言われ続けてきて、その割には特に復習も無くここまで来てしまったから、大いなる不安が募る一方である。これで、よしんば受かってしまったとしたら、もう公道に出られるわけだから、凄えなあと思う。未だに気を抜くと発進でエンストするような奴が、公道なんて走れるワケないんだから。

バイク屋から電話が来た。お前のSRはもう納車された、保険どうするのよ。正直まったく考えておらず、ここに来てそういやそういうものもあったなと思い出す始末だ。早いとこ電話を入れて、詳しい打ち合わせをする時間を作ってもらわないと。
そういや駐車場も契約してないな。本当にこんなんでバイクに乗れるのだろうか。

赤いちゃんちゃん……ライダース

B'zのギタリスト兼リーダー兼コンポーザー兼プロデューサーのTAK MATSUMOTO氏が昨日付けで還暦を迎えられた。赤いちゃんちゃんこならぬ赤いライダースジャケットに赤いレスポール、さりげなくサングラスの縁も赤い。

僕がファンになった頃は40後半で、そこから15年近くが経過しているワケだから当然その分の時間の流れはあるにせよ、それにしても還暦とは。
僕の中で60過ぎのロックミュージシャンってのは、ロックを聴き出した頃には既にそのくらいの歳だった人達……ジミー・ペイジとか、エリック・クラプトン辺りで固定化されているから、松本に限った話じゃなく、90年代J-POPのド真ん中にいたような人達が次々と還暦を迎えているここ数年、どうにも不思議な気分になりがちだ。やはり皆普段はそう見せないだけで、歳を取るのだな。そりゃ俺も歳を取るわけだ。
これからもどうかお元気でいてください、ファンに願えることはそれだけでございます……。

雑記21

ラストパタパタ

通勤では東横線を使っているが、その東横線が先週沿線トラブルか何かで半日くらい運転見合わせになった。それで普段滅多に使わない京急線を使うことにしたのだが、京急川崎駅で、今となってはすっかり珍しくなったコレを見かけた。

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フラップ式の案内表示器、所謂パタパタ。僕が子供の頃くらいまでは駅にしろ空港にしろ色々なところで見かける機会があったが、最近はLEDどころかLCDが大普及して、すっかりレガシー化してしまったような印象がある。
少し調べたら、京急でコレが残っている駅はどうもここだけらしかった。それどころか全国的にも伊丹空港とかよく分からん私鉄のよく分からん駅とか、とにかく数箇所にしか残っていない絶滅危惧種らしい。

これが、電車を迎えたり送ったりする度に左から右にパタパタ回転しているところを見ると「俺が頑張っているところを見ろ」と猛アピールされているようで面白い。そつなく澄まし顔でパッと表示を変えてくるLCDよりも、仕事をしている感が目に見える。
ただ残念なのが、彼は実直な割に生まれつき仕事が遅いので、こういう風に情報開示にラグがある。

「パタパタ先発パタパタ7番線パタパタ特急パタパタパタパタ羽田空港!」
「何時?」
「パタパタパタパタ8:30!」
「何両?」
「パタパタパタパタ8両!」
「君、真面目なのはいいんだけどなあ」

後輩のLCDに、あっという間に仕事を取られた理由が分かる。
ただ、いたずらに彼を否定することはない。僕も仕事を抱えてゲロ忙しくなってしまった時には、言動や態度で上司にそれとなく「頑張っている俺に気付け」と主張したくなることが往々にしてあるから、パタパタの気持ちはよく分かる。結果はさておくとして頑張っている姿勢を認められたいのは、皆そうだ。
だからもし君達がいつかどこかで偶然パタパタを見かけたら、彼らの孤軍奮闘ぶりに生暖かい目で応える必要がある。分かってる分かってる、頑張ってる頑張ってる……と宥めの言葉をかけながら、いつどのタイミングでこの世から消え失せるかも分からないパタパタの回転音に耳を澄まそう。
ラストパタパタに敬礼。

雑記別冊―ロックバンドが背負う「物語」の話

昨日、くるりからファンファンが脱退とのニュースを見た。今後はまた岸田と佐藤の2人体制に戻ると言う。

個人的には、いきなりワーッと3人入ったうち残り続けた1人というイメージを持ち続けた今に至っているような感じが、思い返してみると3人体制になったのが2013年の春だから、8年近くも続いた編成だったんだなと驚いた。これまでのバンドの歴史の中でも一番安定した時代だったんじゃないだろうか。
SNSの反応もザーッと読んだ。ファンは当然彼女への惜別と感謝、これからのバンドへの期待に終始している一方で、そうでもない傍観者(僕も半分くらいはそこにいる)からは「まあ、驚かないけどね」くらいの反応も多かった。これはもう、くるり自体が日本のポピュラーなバンドにしては加入脱退劇が多い故だろう。

ファンファンのトランペットソロがある曲で、真っ先に思い出したのがコレだった。
結局彼女が在籍している時期のくるりは拝めず終いになってしまった。こんな事態でさえなけりゃ野音に行っていたかもしれないのに。

ロックバンドと「物語背負い」

ともかく、ファンにしてもそれ以外にしても、脱退を受けてのバンドの今後の活動に疑問と言うか、不安を抱いているような人間はまったく見受けられなかった。皆くるりはあくまでも岸田と佐藤のものと言うか、大変抽象的な話になるが、このバンドの物語の大半は2人が背負っていると理解しているからなのだろうなと思う。
ポップスは、中でも特にロックは、作品そのものと同等もしくはそれ以上に、バンドの固有性に価値が置かれやすい。ファンはバンドが築き上げてきた物語やキャラクターを共有することで、彼等に対する私的価値を向上させようとする。これが行き過ぎると「この曲が好きだからこのバンドのファン」が「このバンドのファンだからこの曲が好き」へと取って代わり、本末転倒な形になりかねないのだが、それはまあどうでもいい。

だから、くるりのようにバンドの物語を背負っている人間が残り続けるか、もしくは別のメンバーがそれを受け継ぐか、それができるバンドが揺らぐことはまず無い。
蛇足だが、ここで言う「物語背負い」は決してバンドのメインコンポーザーとイコールじゃないのが難しい。良く言われている言葉だと「精神的支柱」とか、あの辺りの方が近いような気がする。

「メンバーの消失」という強力な物語

別のメンバーが物語を受け継ぐことに成功した例は稀だ。しかもその殆どは不本意と言うか、受け継がざるを得ない状況(死、失踪、エトセトラ)に陥ったケースだ。
イアン・カーティス志村正彦亡き後のニューオーダーフジファブリック、リッチー・エドワーズが失踪して以降のマニックスがそれにあたるが、これは本当に身も蓋も無い言い方をすると
「中心メンバーの消失を、あえてバンド継続の道を選ぶことで乗り越えた」
という、かなり明確でドラマチックな物語が付与されたとも言い換えられる。思い入れの強いファンは離れるどころかこうした強力な物語を与えられて、ますます価値を見出そうとする。やっぱりあの人がいた頃の曲とは違うなとどこかで思っていながらも、何だかんだで聴き続ける。

最近のニューオーダーはライブの〆にジョイ・ディヴィジョン時代の代表曲「Love Will Tear us Apart」を選んでいる。しかも演奏中バンド後方のモニターには、丁寧なことに生前のイアンの写真と「FOREVER JOY DIVISION」という文字が大映りする。
随分前の来日公演でそれを見て、何もこんなあざといことしなくてもと思う一方で、やはりこみ上げるものもあった。僕も僕でちゃっかり物語に酔っている身分である。

WANDSの「物語背負い」は誰だったのか

ここまで長ったらしく書いてきて思い出したのが、WANDSの再結成にまつわる話だ。
20年ぶりに動き出した新生WANDSのボーカルは上原大史と言い、誰もが期待したであろう全盛期のボーカル(上杉昇)ではなかった。これには賛否両論巻き起こり、中でも多くを占めた意見が「上杉不在ならばWANDSと名乗るべきではない」というものだった。

当時の僕はそれを見ながら、それは些か暴論なんじゃないかと思っていた。
上杉はいないにせよ、当時のメインコンポーザーだったギターの柴崎浩は復帰した。バンドの音を作っていた張本人が再結成に踏み出したのなら、それはもう名実共にWANDSそのものだろうと。ただ一方で、その理屈を基に上杉のいないWANDSを素直に喜べるかと考えると、それもまた微妙ではあった。

で、結局今回のエントリを書いて改めて思ったのは、確かに柴崎はコンポーザーとして当時のWANDSの音を形付けていたにせよ、このバンドの物語そのものは上杉が一身に背負っていたんじゃないか、ということだ。
デビュー当初のWANDSは、ビーイングによってガワを1から10までお膳立てされた、要は商業的に作られたバンドだった。適当なアルファベットのバンド名をあてがわれ、織田哲郎をはじめとした会社お抱えの作家陣から売れ線のキラキラした曲を貰い、粛々とそれをレコーディングし、露出も最低限に留める。これは当時のビーイングの戦略によるもので、実際、REVにせよBAADにせよZYYGにせよ、歌や演奏が異なるだけで大体似たり寄ったりのバンドが量産されていた時代があったわけだ。
WANDSがそこら辺のアルファベット達と一線を画していたものがあったとすれば、それは上杉の歌唱力と、何より歌詞から窺える至極パーソナルな感情だった。
会社が仕立て上げた「爽やかなポップスグループ」的なイメージのままで歌詞を読むと、実は中々エグいことを歌っており、大抵そのギャップに驚く。己の雇い主ビーイングに始まるエンタメビジネス全体への不信感、そこを起点に拡大された薄ぼんやりとした厭世観ニヒリズム――こうしたパーソナルな感傷を量産型キラキラポップスに押し込めて歌う、そのアンバランスさこそが全盛期WANDSの魅力であり、尚且つ歪な形ではあるにせよ、何もかもを会社に作られたこのバンドが持ち得た、たった唯一の固有的な物語ではなかったのだろうか。

そう考えると、当然上杉のいないWANDSでは上記のマジックは成立し得ないし、仮に上杉が戻ってきたとしても、ビーイングは勿論、音楽産業の構造そのものが大きく様変わりしている現在では、結局あの頃のWANDSの再来は望むべくもないような気はする。
じゃあやっぱりボーカルは交代して正解だったんじゃんと言われると、そう言い切ることもやはり違うような気がする。どの道今のWANDSは、あの頃のWANDSとは別の物語の上にいるバンドと認識して聴くのが一番良さそうではある。

もう分からん

まったく結論が出ない上に話も飛び飛びでワケが分からないエントリになってしまったが、とにかくロックを愛するというのはかくも面倒なものなのだ、と書いて終わりにする。
ご意見ご感想があれば是非お聞かせください。

雑記20

さよならフェブラリー

豆も恵方巻もチョコレートもロクに食わずに2月が終わった。その間にも暖気に汗ばんだり寒風に震えたりを交互に繰り返し、三寒四温と共に着実に春が迫っている気配を感じるのだった。

相変わらず休みの日に外で人とドンチャンするのも憚られる日々が続くが、それでも折角晴れ間が多い中で家のベッドの上から動かないのも腐るってもので、今月の、特に下旬はよく走りに行った。
この前、走り切ると丁度15kmになるコースを見つけた。河川敷あり古い街道あり急な坂道ありの中々楽しい道中だから、一週間に2回くらい、そのコースに沿って走るようにしていたら、今日の時点で月の総走行距離が93kmになっていた。先月に続き100kmには届かなかったが、割と上出来だろう。

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多摩川は丸子橋から1km程続く並木の終端に、河津桜が数本植えられている。規模的にはささやかなものだが、丁度この時期に満開となる。3月もしばらく過ぎるとそそくさと若葉に装いを変えるが、入れ替わるようにして付近のソメイヨシノが開花し始める。この時期の多摩川は走っていて楽しい。

明日から3月だが、この前の文フリで弊サークルから出したアンソロジー「トラックに轢かれた」に載せた拙作には「マーチ」というタイトルを付けた。
くるりの「マーチ」を聴いていた時、この生温い砂埃に身ぐるみはがされるようなヒリついた質感を出したいと思って書いたものだったが、書いていくうちに曲の雰囲気とは大分かけ離れたものになってしまった。

3月は俗に別れと旅立ちの月という見方をされることが多いが、少なくとも僕の周りで劇的な別れは起らなさそうな雰囲気である。強いて言うなら職場の人事異動で僕が担当から外れるクライアントがいるかもしれないが、やはりこれもあったらあったで面倒なので、何も起こらないに越したことは無い。
劇的な別れと言うとこそばゆいが、直近で一番それらしかったのは大学を卒業した年の3月だった。大学を卒業してから丸3年が過ぎるが、大学時代の仲間内でも頻繁に会う人間と、もう金輪際会わないような気がする人間との差がより顕著になっているような気がする。どちらにせよ、あの頃僕に良くしてくれていた人は皆元気でいてほしい。

雑記19

ローカル線オタクのジレンマ

JR西日本の社長が定例会見で「ローカル線の維持が難しくなっている」と述べた――というニュースを見た。
北海道や四国がジリ貧どころの騒ぎじゃないのはもう大分前から言われていたけれど、京阪神でドル箱路線を何本も持つ西日本もいよいよ赤字路線の維持に耐えられなくなっているらしい。

今後の在り方についても自治体を交えて協議していく、と続いていたが、加速する地方の過疎化にコロナ禍が追い打ちをかける状況じゃ、三セク化どころかBRTすら際どいんじゃないかと思う。
そのニュースに関連して、JR西日本の平均通過人員が1,000人/日以下の路線を図に表したものも見た。京阪神や山陽近辺には殆ど無く、大抵は北陸、山陰、あるいは陰陽連絡線に集中している。まあ、そうだろうなと思うが、山陰本線ですら一部分がそれに該当するのにビックリした。
そもそも陰陽連絡線ってのが中々曲者で、中国山地を突っ切る、あるいは麓に沿って走るわけだから、沿線人口が多いわけがない。その割にはトンネルやカーブや坂が多いから維持費がかかる。勿論岡山広島と鳥取松江を結ぶ需要はあるけれど、高速化に対応した、要は特急を走らせやすいように設備に金をかけた路線が既に伯備線智頭急行と2つも存在している以上、残りの路線に速達需要は無く、地域間輸送だけに焦点が当てられる。で、その地域間輸送の需要はどれだけあるのって話が始まる。
数年前に全廃された三江線は、上の全てに当てはまるような超ド級人いない人いないローカル線オブローカル線だった。沿線自治体の財政上の問題で三セク転換も特に考慮されず、いくつかのバス路線に切り分けられた。「天空の駅」宇都井駅も今となっては拝めなくなってしまったが、嘆いても後の祭りであるな。

もう10年近く前の夏になるが、青春18きっぷを使ってその辺りの路線に乗り、広島から松江に抜けたことがある。
広島から芸備線に乗り、三次で1両のワンマンカーに乗り換え、備後落合で1時間近く接続を待たされた後に木次線の、やはりワンマンカーに乗り――てな塩梅で、朝方に広島を出て、最終的に松江には夕方に着いた。速達性は望むべくもないが、沿線の風景を大分楽しめた。
備後落合で次の列車を待った1時間のことを、よく覚えている。かつて交通の要衝だったことを偲ばせるような広く古い構内に乗客は疎らで、線路の隙間には雑草が生い茂り、線路の向こうが蜃気楼で歪んで見える。山間の駅なだけに周辺にも街らしい街は無く、タクシーの営業所の跡が一軒あって、終わり。本当に静かな空間で、何もかもが鄙びた様はまさにロマンだった。こういうのが見たかったんだよなと、エラく感動した記憶がある。
こう書くと、廃れ行く様を拝んでキャッキャ喜びながら、いざ廃止されそうだと聞くと憂うという、まあ醜悪なことだ。ジレンマと書くには大分チャチな話だが、こういう理由で僕はローカル線の存廃の話を聞く度に、若干の後ろめたさを覚えてしまうことが多い。

それにしたって僕のような遠方に住む人間は中々乗る機会が無いから、本当に後悔する前に、今年の夏くらいにはもう一回備後落合に訪れたいと思う。
あと、宍道から松江へ向かう最中に拝んだ、宍道湖に夕陽が溶け込む車窓は本当に綺麗だった。行きたいところばっかりですね。